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知的でもちろんサッカーに対してもかなり頭の切れる選手
中田英寿はまず視野がいろんな意味で広い、彼にとって世界は日本とアメリカだけじゃない。知的でもちろんサッカーに対してもかなり頭の切れる選手だった。一番印象的なのが、2006年ドイツW杯時の中田の位置。彼はそれまでもちろんチームの精神的二も戦術的にも中心だった。しかし当時の日本代表には中村俊輔や小野伸二などのスーパースターがいてその選手たちをどうしたら一番チームのために生かせれるかを考えて、監督とも話を積極的に行い、結果中田は本来のポジションというよりは下がり目のボランチで試合に出つずけた。いわゆるバランサーとしてチームに貢献していた。目立つポジションではないし、地味だけど彼のサーカーセンスは光っていた。的確な指示や時に怒りをあらわにして味方選手を鼓舞していた。攻撃にも守備にも貢献し、誰よりも走行距離は多かったんじゃないかなと思います。その中田はジーコジャパン時代に一時的に日本代表を外れていた時期がありました。その理由はいろいろありましたが、私が聞いたり一番感じたのはやはり彼のレベルの高さ。それによって周りの選手が引きこもってしまうことがあり、本来のいいプレーをできないという歴代でもみたことのないようなシーンだった。しかし彼は約1年後に日本代表にまた呼ばれることになり、またチームの中心的存在としてタクトを振るっていた。確かそれは2004-5年ぐらいの時期だったと思いますが、それからワールドカップ予選があり、コンフェデを戦い、本番となりました。そのドイツワールドカップ2006の前の親善試合がありました、確かドイツという開催国との最高の環境でのアウェイのマッチ。結果は高原のスーパーゴールで2-2と引き分けました。その試合の中で私は印象に残っているシーンがあります。高原が得点したあとにみんなで歓喜に包まれていた時中田英寿はすぐに柳沢に話に行きました。何を話していたかは正直わかりませんでしたが、何かみんなで力を合わせて勝ちにいくぞという感じが伝わってきました。本当にあの伝説の選手、中田英寿は誰よりも走り、戦い、チームのバランスや事情を考えながら長らく日本代表にいました。彼の貢献度は少し過小評価されている気がします、特にジーコジャパンでの彼の功績。ジーコともサッカーだけじゃなく個人的にも仲がよく親交があったみたいです。また同じスター選手としてどのようにしたらチームで浮かずに馴染めるかなども相談していたみたいです。彼の気の配り方などは想像以上に伝説だと思います。